古徽州文化観光区は徽文化の発祥地である安徽省黄山市に属する。徽州古城、牌坊群鲍家花园、唐模、潜口民宅、呈坎五つの最高観光エリアによって形成されている。北には黄山、南には千島湖と隣接している。...【詳細
 
 
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古徽州への観光企画

古徽州一游全攻略

古徽州への観光企画

徽州に関する本を開くとき、その中身に深く引かれはしないのか。古徽州へ一度でもいいから、観光にいらっしゃいませんか。もち興味をお持ちなら、私の書いた企画をご覧になってください。もしかして君の旅行に何か役に立てるかもしれない。

一、地理的な条件:

古徽州は、中国の江南地方にあり、一年を通じて四季がとりどりで、青々とした山と川に恵まれて発展してきた。安徽省の管轄で、東が浙江省に臨み、西が江西省に接する。しかし、昔はかなり交通が不便で、典型的な山地である。ただ水航路だけとても便利である。

二、徽州の発展歴史
安徽という名から、古徽州の重要性が窺える。安徽は康熙六年の時に名付けられたもので、「安」は安慶を指し、「徽」は徽州を意味する。安慶と徽州は当時非常に賑やかな町である。
昔、始皇帝が中国を統一したとき、ここに県を設けた。県の名も時代変更に伴って絶えずに変わって、かつて歙州や新安郡と呼ばれたが、宋の時代になって初めて徽州と名乗ることになった。そのうえ、「徽」には「美しいもの」という意味があるので、徽州は美しい所になるわけだ。その名は清の時代までずっと使われてきて変わらない。昔、徽州管轄した所は歙县、黟县、休宁、祁门、绩溪および婺源があり、官庁が歙县市内にあるので、「一府六县」と呼ばれた。
三、徽州府——歙县

歙县は徽州経済文化交流センターの中核で、いろんな徽州文化の源流であり、昔から徽州文化の源という説がある。
しかし、今日は歙县を知らない人がかなりいるので、何と残念なことだ。私の案内で徽州へ遊びへいらっしゃった観光客の中に、徽州に詳しく知っている人が多いが、歙县の「歙」が読めない人は少なくはないようだ。それに、「毛沢東時代に簡体字を普及させた時、なんで歙という難しそうな字を簡略化してくれないか」とでもいう観光客までいる。そうか、でもね、もし本当に簡略したら、趣がないじゃないんですか。我々徽州文化の幽玄は間違いなくそこにあろうと私は思う。

歙县は今まで多くの名所旧跡をよく保存しており、最も代表的な名所は次のようである。
1、すでに全国重要な文化遺産に登録した「棠樾牌坊群」は、鲍氏一族によって建てられた七つの牌坊からなっている。作家の琼瑶が書かれた「煙锁重楼」という作品をお覚えになるのか。同名ドラマがここで撮影されたのだ。

2、すでに全国重要な文化遺産に登録した「许国石坊」は、中国において唯一の八角牌楼とされ、かつて皇帝のご褒美を頂戴し、実にすばらしい牌坊である。
3、すでに全国重要な文化遺産に登録した「渔梁坝」は、かつて徽州の町人たちが家を出て商売に出かけた所で、徽商の源とも呼ばれる。ここで、乌镇のような古町情緒を楽しむだけではなく、「东南小都江堰」とでも呼ばれる立派な水利工事が見えてくる。「渔梁坝」は隋の時代に建てられたが、明の時代の修築工事のおかげて今日まで保存してきた。
4、徽園観光区は、2000年の時に建てられ、特徴ある徽流建筑をもって、徽州三絶と呼ばれる古民宅、祠堂、牌坊を融合した現代感あふれる「城隍庙」である。時代がかっていて趣のあるさまばかりか、観光客にとって、お土産を買う所なんだ。「徽園は、上海の城隍庙に比べても、いささかも遜色がない」と言った上海からの観光客が多い。

5、斗山街は、当時徽商の集まるところとして非常に有名である。だから、そこにある建物も立派で素晴らしい。特に、そこの徽州三雕がすごく巧みである。

6、太白楼と新安碑園。太白楼は、唐の時代に「詩仙」と呼ばれる李白氏が徽州へ遊びに行った途中で、お酒を飲んだり詩を読んだりした居酒屋である。新安碑園は、書道家の董其昌氏の親友としての呉廷氏によって山で建てられた私家園林である。呉氏が大物の
徽商で、本人も書道が好きで、晋の時代から清の時代までの有名な書道家たちの法帖を集めていて、王羲之、虞世南、董其昌などの名書道家も含む。法帖には、「余清斋」と「清鉴堂」が一番有名である。

7、教育家陶行知の博物館。ここはかつて陶行知氏が幼い頃に通っていた学校である。

四、徽州の軽食と特産

旅行と言えば、もちろん食べたり飲んだりすることが欠かせないものだ。だから、徽州特産を絶対に逃してはいけないよ。さあ、食べ物に入りましょう、安くておいしいもの。

徽州でのいろいろな軽食:
1、「石のお菓子」は一種の餅で、中身が肉と大豆で、外が小麦粉に覆われてから、平鍋に少々の油を入れ、そして石で絶えずに打たれたりして、もちろん打たれれば打たれるほど、歯触りがよくなるわけだ。以上がその名の由来だ。この餅が保存しやすいから、昔町人たちの外出用の携帯食品であった。今、私たちの好みを合わせるため、中身が様々で、いい味だ。(価格1元)

2、「毛豆腐」と「臭豆腐」と言ったら、すぐ引かれるんだよね。もちろん、両方が豆腐で作られたもので、作り方って、つまり、長方形の豆腐を一つずつ平鍋に並べて、少し油を入れ、ゆっくりと焼いてから自家で作ったソースにつけ、わぁーおいしい。(7つ合わせて1元)ここで、特に「毛豆腐」を取り上げたいと思う。「毛豆腐」は歙县特有の軽食で、美味しくてあっさりした味で、においもいい。「毛豆腐」を楽しむのは、ふさわしい所でふさわしい趣が必要である。「毛豆腐」を楽しみながら、友達と一緒に山海经を詠んで、いいおもむきがある。その時、「毎日毛豆腐を食べて、徽州の人でよかった」と思わないの。
3、「焼餅」とは特製焜炉で焼いたもので、中身が徽州独特の漬ものとトロと混ぜて作られたのだ。作られたばかりの焼餅が一番おいしい。

4、「お菓子」とは、都市で「雲呑」ともよばれ、しかし徽州の雲呑の調味料が大都市のとやや違うので、一度食べてみたら。

自然環境に恵まれる特産

1、食べなくちゃいけないもの:春の竹の子。筍を食べたいなら、歙县问政山へ行かなくちゃ。歯触りがよくて、おいしくて、相当な栄養価値に満ちるそうだ。もう一つ、ワラビ。
蕨はもともと山での野菜で、野菜とはいえ、うち安徽料理の作り方で、かなり美味である。

2、ここには、一年を通じて果物が豊である。徽州の梨,金丝ナツメ,歙县ミカン.など、特に三潭特産のビワが年に一回だけ実って、四季の水分を吸して、かなり高い栄養価値があるそうだ。

3、茶も世界でも有名である。うちの茶と言えば、黄山毛峰、顶谷大方、太平候魁などが中国十大名茶にも入る。その外、菊の花びらも非常に薬用価値に満ちるそうだ。

4、徽州の墨と歙县のすずり。歙县特産のすずりが一番上品なものである。すずりの珍しさは、すずりでの彫刻が徽流石雕の情緒を備え、派手やかでなく、落ち着いた深い味があり、そして彫刻技法も優れていて上品である。すずりに載っている図柄は、黄山の景色、新安景色、小橋流水、そして神話伝説や名人逸事などに取材したものが多い。すずりのおかげで、歙县も「墨都」という雅称がある。賑やかな町や村で、徽州の墨と歙县のすずりを経営した店がいっぱい並んでいて、店にはよく有名人の書画が壁に高くかかってあって、人に強くインパクトを与える。

五、民俗
「钟馗ジャンプ」は宋の時代から伝わってきたもので、端午祭になると地元の住民たちが自発的に行う芸能である。昔から、こういう伝説がある。钟馗という人が、なかなか文才があるが、不運でいつも容貌で落第したという。ある日、科挙の試験で一位を取れたから、皇帝へ拝謁に行ったが、あまりの醜さで皇帝を驚かせてしまった。そこで、また落第すると思って、その場で柱にぶつけて自殺した。皇帝も自分がひど過ぎると思って、钟馗を重々しく葬った。これは一般庶民にとって極めて光栄である。钟馗もちゃんと恩返しを知っている人なので、だから魂が世に戻り、庶民のために五毒を斬り、福をもたらした。その民俗芸能もその伝説に由来する。現在でも、観光資源の開発や観光客への祝福で、渔梁観光区でこの「钟馗ジャンプ」が見られる。

六、徽商とは、徽州出身の町人である。昔、地理条件のせいで、また人口が増えてきたので、食糧不足のがふつうである。仕方なく、徽州の人々が水運で全国へ移動し、商売をし始めた。

さあ、徽州のこと、そろそろお分かりになるでしょう。では、旅行用の袋をかけ、徽州の旅へまいりましょう!

スケジュールの準備:

一、物:もし黄山へ行かなければ、そんなに重い荷物がいらない。徽州だけに行ったら、必要な日常品さえ持てばいい。万が一忘れ物がしたら、ご心配なくスーパーで何でも買えるし、価格も高くない。

二、早速スケジュールに入りましょう。毎年黄山への観光客が黄山市に着いたら、まず屯溪区で一泊している。黄山の自然景色、それとも古徽州の文化遺跡か、どっちでもいいから、やっぱり御自分の好み次第でね。次に、古徽州への観光などについて、くわしくご説明させていただきたいと思う。

朝八時に出発。屯溪から歙县へのバスに乗って(4元)、30分で歙县に到着できる。春の季節なら、道路の両側に目に見えた所で菜の花がいっぱいで、大変目を楽しむと言える。
歙县に着いてから、4番バス(1元)に乗って棠樾牌坊群へ、切符が50元、観光内容が七つの牌坊と二つの祠堂、そして古民宅など。もちろん、もしガイドさんを雇れば、観光がもっと順調になるかもしれない(料金が20元)。しかし、ツアーに添乗員さんが観光内容を説明してくれるから、ガイドがいらない。棠樾牌坊群での観光がほぼ90分かかると思う。第二に、また4番バスに乗って市内へ、そして1番バス(1元)に乗り換え、渔梁観光スポットに着き、渔梁古町と渔梁坝を見物する。切符が30元である(ガイドさんの費用も含めて)。町に一つの川があるので、もし興味があれば船に乗って川に流れていて、ついでに沿岸の景色をゆっくりと楽しむことも悪くない。価格が一人に5元、船での観光時間が90分ほどである。

 渔梁で昼ごはんをする。もしパンとかの食べ物をお持ちになったら、観光区の砂浜で昼ごはんをゆっくりと楽しんでください。でも、私なら、観光区の料理屋で地元の美食を楽しむのも結構いい選択だと思う。価格もやすくて、一人当たりに10元―20元ぐらい。そう、さっきの言った毛豆腐はここで食べられるよ。もちろん、新鮮な食材がお好きでしたら、水揚げられたばかりの魚まである。魚好きの観光客なら、きっと嬉しいでしょう。川から水揚げられたばかりの魚は、味がきっと柔らかくてほやほやである。昼飯の後、すこし休憩してもいい。午後、1番バスで太平橋へ、太平橋を通り過ぎると、太白楼と新安碑園観光区が見えてきて、切符が10元(ガイド説明も含め)。それから太平橋へ戻って、10分かかるほどの遠さで以前徽州府の大門に着け、ここは许国石坊で、切符が10元である(ガイド説明も含め)。ついでに現代城隍庙と呼ばれる徽园に寄ってみれば悪くない。それから、斗山街に着き、切符が20元(ガイド説明も含め)。そろそろ観光が終わってから、1,2,3,4番のバス、どっちに乗ってもいい。バスで歙县駅に着いたあと、屯溪へのバスに乗り換え、いよいよ屯溪へ向かう。

「マニラ世界観光宣言」が指摘したように、「観光があくまで一種の積極的な休憩である。」休憩の積極性は、即ち休日などあらゆるチャンスを生かし、外の世界へ回ったり、見たりすることで、また時には人文遺跡に行って中での歴史文化の精髄を深く感じたり、さらに、自然と人文と融合することを存分に楽しんだりして、楽しい観光を通じて、日常生活でなかなか感じられない独特な趣を存分に体験するのだ。

 歴史上でも文化名所といえる歙县は、歴史が長くて、環境に恵まれ、自然と人文も過不足なく融け合って、なかなか趣があるので、歴史上で「东南邹鲁」と呼ばれ、我が国の文化と芸術の里とでも言う。もしご都合がよければ、ぜひここへいらっしゃいませ。自然に戻り、徽文化を味わい、自然と文化を兼ねる旅に行こう。そうすることで、美しい思いでばかりか、いい経験になりましたっていう感覚もあると私は信じている。

古徽州に入ってから、途中次々と景色に出会う

出発したばかりの興奮が好きである。いろんな荷物を背負って、仕度を整えて出発を待つ。以前早朝に母と一緒に上海へ出発したときの新鮮感をずっとおぼえている。まだ夜明けなのに、既に出発する。時差などをなんとか克服するという感覚で、胸がドキドキしている。よほど一晩寝て元気になろうかと思ったら、親父が出発の早すぎに嫌だから、朝四時に出発する夢が水の泡になった。

今回の旅行がすべて自己企画するんだ。母と一緒にスケジュールを立てるから、細かいところまで行き届いた。が、不足もある。たとえば目的地がはっきりではなく、方向感が曖昧で、走行中にガソリンの浪費が相当で、高速道路で何度も回り道をしてむだ足を踏んだ。(だから、ドライブにははっきりしいてる地図が不可欠だ。高速道路のパーキングエリアで買える。安徽省の高速標識はまったくだ!)

  徽州は古くてあんまり進んでいない町で、車が市内に入ると、杭州市内で林立した高層ビルや喫茶店などが見えなくて、ただ白壁黒瓦礫の建物が主なリズムなんだ。時には、蔓に絡まれた古塔を見たりして、立ち並んでいる古牌坊も趣がある。「无徽不成镇」という古い言葉がある。歙县において、過去の記憶がよく見えてくる。そのような古町に、一つの立派な古代水利工事がひっそりとしていて、渔梁坝という。  

坂があまり険しくないのに、水が速く流れている。坝には三つの広い溝があり、水がそこから急に下へ流れて行って、なんと素晴らしい。沿岸の岩石がまちまちで、滑らかで素朴である。船に乗ると、天、山、村、橋、船、水が一斉に私のカメラに入っていて、静かである。水に投影された村の影はひとしおわれわれに閑静感を与えてくれる。船頭さんがゆっくりと船をこぎ、渋い口調で村の物語を紹介してくれた。私たちも調子に乗って、笠を着て、船頭ぶりをしている。

斗山町が歙县にある町で、狭い路地の両側に、高い壁に歴史的なしるしがある。どの家の門前でも、「文化大革命への支持」、「毛主席万歳」などボロボロになったスローガンのしるしが残ったようだ。ここにずっと住んでいた人が少なくはない。いろいろな紅色の春聯が門に貼ってあり、中身がそれぞれだが、めでたい文句ばかりで、町に祝日の雰囲気を増すのだ。たとえば、「时时如意事事成,日日平安年年顺」。町での「斗山幼稚園」、「小売店」、「美容院」など年月があるけど、偽りもなく真実で平穏な生活様子が見られる。しかし、静かな町をゆっくり楽しんでいるうちに、急に通行料をおさめる人が出て、実に惜しくて嫌がる。

そして、古町の徽園一号で昼ごはんを食べた。蒲瓜みたいなきゅうりや、川の魚を食い、もともと本場の特色料理毛豆腐を食べようと思ったが、名前と見た目だけでおそろしくて、諦めてしまった。かわりに臭豆腐を食べてしまった。食事の後、かなり有名な「许国牌坊」を見物した。遠く離れても、そのうえに書いてある「大学士」が見え、下に「少保兼太子太保礼部尚书武英殿大学士许国」という作者の名が書いてある。牌坊が立派で、中にいくつかの「大学士」と書いてあって、生き生きとしている六つの石獅子と石彫に合わせ、実に活気溢れていて、気位が高いのだ。

「呈坎古村落」は第一日のスケジュールの最後のスポットである。そこへ行く途中、私たちは道を聞きながら走行している。途中である地元の女の子が案内してくれた。本当に助かった。彼女は美しい里――呈坎を親切に一つ一つ筋道立って紹介してくれた。そこは「易经」における“陰”(坎)“阳”(呈)、即ち「二气统一,天人合一」の風水理論で設置される古村落で、东漢三国时期に始まり今まで1800年以上の歴史を持つという。立て直した
呈坎はもっと魅力的で、村落の池に投影された小橋の影も非常に上品である。円形の石窓を通じて、呈坎独特なイメージをすべて目にしている。民間一族の祠堂――宝纶阁には、交互に混じっている月梁、アーチ形の屋面、400年経てもやはりきらきらに光っているようだ。ここで、古民宅が星や碁石のように多く広く分布していて、高い壁に文革時期のスローガンが多くて、たとえば「三つの作风」、「毛主席」などがいっぱいある。旅行途中で、私たちも「易经」にある浅い知識を少し学んできた。これが呈坎の真髄だよ。そして、私たちがそれを生かし自分の運命をうらなってしまった。途中で、同济大学の大学生と出会い、彼も丁寧に占いを教えてくれた。羅針盤を動いて占う前に、まず心に求めたいものをきちんと頭に覚えておき、そして敬虔で羅針盤を動くのだ。そして、私たちがますます面白く思って、彼の指示で知らず知らずのうちに「易经」の中に入り込んだ。最初、彼の説明に疑いをもち、曖昧に思って、細かく考えてみれば、もしかして自分とその占いに何か妙な絆があるのかもしれない。とにかく、これは、自分で心を込めながら推察に推察を重ねて、物事に感じて悟って、心に従うべきだ。

呈坎から帰って、車で休宁县へ行って、そこで一泊した。県の名前が実に面白い。「静かにここで休憩しよう」という意味がそこにあるだろう。観光客として、私たちも親しみを覚えてくる。晩ごはんは道側の料理屋で本場の安徽料理を食べた。本当に熱烈な感情を込めた料理で、辛くて色鮮やかな小海老、赤白色のイカ炒め、何と美味で、私たちの敏感な味覚をそそり、本当においしい。

休宁、そんなに親しいところで、そのうえ、読書人の家柄に恵まれる小町だが、いったい何の特産をもってみんなで知られるのか。皆さん、お分かりになるのでしょうか。そうだ。昔からの科挙受験で、ここから19人の優勝者が続出して、今でも人材も輩出してきた。前日、大学受験戦争での優勝者たちが全国各地からここに集まり、心得を交換した。だから、今夜食事の後、私も町を散歩しながら、一目でもいいから、ぜひこの不尋常な街の魅力を身をもって経験しようと思う。高校受験で失敗した私だが、状元街を歩いた時、将来への夢や願いが心に満ちている。町が賑やかで、年寄りが踊ったり、子供たちが広場でスケートをしたりして、音楽が都合よく人々の気分をあおり、観光客の私たちとしても、すぐその場で、その広場に流れている喜びに融け込んでしまった。ちょうどその時、雨が降ってきて、雷の音が空に響き、私たちもある店で雨上がりをまつ。少々、三輪車で宿に戻る。

P.S「中国状元博物馆」が夜で閉館。だから、次の日に私たちがまたそこへ行く。ここで簡単ながらお話しましょう。科挙制度の時に、ここから多くの優勝者が続出した。明の時代に、三年に一回受験で、毎回選出した優勝者たちが一位、二位、三位に分け、合わせて50名様になる。選ばれた優勝者たちが官吏に昇進した。だから、死ぬまで受験している人が少なくはない。館内に読みにくい本がいっぱいで、それに一巻の「ランキング表」がある。中に休宁出身の優勝者が多くて、もちろんわが杭州钱塘出身方もいた。ほんとんに羨ましくてたまらない。

たぶん興奮しただろう。私は一晩中寝ころんで夜明け前を待っていた、眠気なんか全然ない。光がカーテンを通して部屋まで差し込んでくると、私たちはもう朝食を終え、そろそろ出発し、目的地ならかねがねお名前はお伺いしたことがある。すなわち齐云山である。昔から「白岳」といい、「聳え立っている石があり、天とほぼ同じ高さがある」というので、明の嘉靖年間「齐云山」に変更された。(わぁ、古人はすごい、名前までこんなに詩情があるなんて)。一同五人がロープウェ―で山登りし、山景色がすべて目に収めた。散らばっている水田、万緑の中に混じっている白壁黒瓦礫、そして草に囲まれている川、確かに「景色はすばらしいけど、朝早く楽しめれば最高だ」という言葉通りだ。齐云山は長い歴史ある道教文化に恵まれ、丹霞地形がユニークで、数えられない各種の碑があり、寺のスタイルも立派で厳かである。しかし、おもしろいことには、寺の地面で横に並んでいる蝋燭を見て、これは羊肉の串刺しじゃないかと喩えた人がいる。同行した旧跡を研究する専門家、そして大学受験戦争で文科系のナンバーワンを目指す学生が、字が書かれた碑の前に足をやめ、大物の石壁に書かれた文字に興味を持ちそうだ。それがかなり上品で趣のある詩、「面壁雲垂膜,晴鳥天雨珠,水中含粟米,圖像許誰之。」その場に身を置けば、詩の境地が自然に感じられるわけだ。あの二人が調子に乗って、詩まで作ろうという気合だ。

下山の道が相当な苦労をかけ、歩いたり止まったりして、手元の扇子を絶えずに使って、水の流れる音が聞こえてきたが、水一つも見えなかった。かろうじて2キロ歩いていて、ようやく人力車に乗ることになった。よっかた、望み込んでいる渓流が見えてきた。涼しい風のもとで、私たちが人力車を降り、手で水を遊んだりして、うぁー、日に曝されていても、水がチョー涼しいなのよ。

白岳と別れてから、急いで次の県――黟县へ参った。黟县といえば、世界文化遺産登録の西递と宏村が一番有名である。呈坎での経験を生かし、正門ではなく、フリーの裏口を探しいていた。(呈坎を出て、なんだよ。そばに無料の裏口があることが初めて分かった。)そして、村の裏側にいくつかの道が西递へ通うことを知った。他のスポットと比べれば、西递での観光客がずっと多いのだ。時に、古い祖廟を見物しようと思って、中へ入ると、まっくろほど人が込んでいる。地元の住民たちは頭がよくて、観光資源を活用して、観光に関する商売をし始めた。民宅の彫刻が精巧で、三層が重なっていて、技法の高さと細かい心遣いが窺われる。これほどすばらしいものはどんなハイテクでも作られないのではなかろうか。小橋、流れ水、民居などのイメージは、本々見た目がよくない木のうえに、生き生きと彫られてある。
西递の見物を終えた後、審美の上でも、体力の面でも相当疲れていたので、宏村の魅力は今度にしよう。

夕方になると、绩溪ヘ向かった。車は市内に入ってから、賑やかな雰囲気がすぐ漂ってきた。ここの人たちがみな外で涼みを求めたりして、町中灯火があかあかと輝いて、カラオケ―の声もあちこちから湧きあがった。私たちがある宿に泊まり、施設が古そうだ、環境が悪くないので、一晩中ぐっすり寝込んでいた。夢の中に、私も科挙試験の優勝者に変身し、齐云山で字句を書き記したり、詩を作ったりした。(寝る前に、ゲームやトランプあそびのことはまあいいや、とにかくおれが勝った。たまにはこういう手段でリラックスしても悪くない。)

绩溪で、私たちが龙川にある胡宗宪尚书府に行った。同じしっくい塗りの壁と青い瓦礫なのに、さすがに尚书府なのだ。普通の民宅とは違って、芸術感溢れる迷宮と言っても過言ではないのだ。胡宗宪と言えば、多分知らない人が多いのに、胡锦涛国家主席というなら、知らない人がいないだろう。彼らは家族なんだよ。主席のおじいさんがかつてここで無事に晩年を送っていたという。だから、主席の原籍は間違いなく安徽省の绩溪である。そして、もう一人。彼が子供までよく知っている民族英雄で、戚继光といい、どうだ、知っているのよね。この人も胡宗宪と深く関わって、上司である胡宗宪にとって腕利きのやり手である。しかし、胡宗宪が歴史の上で褒められたり非難されたりして、あんまり有名ではなさそうだ。彼の功績と言えば、才能のある彼はかつて倭寇を打ちつぶした。尚书府が青山緑水に囲まれ、まるで詩境にいたり画境にたりするみたいである。尚书府のデザインも精巧で、奥深くてなかなか趣がある。井の造形、門の形、山水の鉢植えの置き方、屋内の設置、そして横額まで、どっちも心をこめて作られたものである。細かい所には、胡氏一族が子孫後輩への教育方や、尊敬する思想、そして処世術まで窺われる。以上で終わらせていただきたいと思う。そこに行ったら、趣のある景色を楽しみながら、添乗員さんのご紹介を聞くといい。そうすることで、もっと深く感じられるかもしれない。

後記:徽州の旅が円満に2008-7-24日におしまいだ。三日の間に、一分一秒でもきっと私の最高の思い出となれるのだ。皆さんのお力添えをいただき、誠にありがとうございます。次回の旅行を期待している。

徽州古村落観光への提案

徽州古村落が主に三つの所を含め、徽州南部の歙县、黟县,及び現在江西省の婺源县である。この三つの県が安徽省と江西省との交際点にあり、昔古徽州に所属していた。ここの徽流古建筑、田園風景、自然景色、および風土など、すべてが特色があり、そしてかなり集中し、近くにはまた黄山、庐山、齐云山などの名山があるので、とてもいいドライブ線路だ。
賑やかではなく、観光客もそんなに多くではない。四方八方からの呼び売り声も聞こえないので、物静かで平穏である。リュックサックをかけ、徽州独特な黒白の両色を歩いて、相次いで古村落に入る。そこには、手当たり次第に物を手にして、そのものに重い歴史や言い切れない物語があることが分かった。明清時代の古屋をぶらぶら歩きながら、「東の垣根の下で菊の花を採り、悠然と南の山を見る」という境地を楽しみ、間違いなく最高の経験というほかはない。

観光ルートへの模索
上海、北京、广州、南京、福州、青岛などの中国東部の都市から出発しようと思ったら、黄山を直接に結ぶ汽車がある。もし、汽車が歙县駅を通り過ぎれば、ここから降りてもいい。歙县駅の次が黄山駅なので、歙县から旅行を始めても悪くない。もし、君が黄山駅を降りたら、黄山市のバス駅(市内の屯溪にあり、黄山観光区とは異なる)でバスに乗り換れば、30分ほど歙县につくことができる。切符4元。
また、黟县へ行くのも黄山市のバス駅に乗り換えなければならない、切符8元、1時間ほどかかる。
黄山市がまるで観光ルートでの交通中核である。江西婺源へ行きたいなら、黄山市へ戻り長距離バスに乗り換えなければならないのだ。毎朝6時40分にバスがある。また、8時20分に次の便があるが、この便がただ日、火、木、土曜などのダブルの日に出発しかない。が、スピードがいいし、乗り環境も快適であるので、主に観光者向けのものである。婺源からの帰り道なら、まず黄山市へ戻り、そして汽車に乗り換え、家へ帰る。もちろん婺源から直接車で江西省の景德镇、九江、南昌などへ行って、そして汽車に乗り換えてもいいのだ。しかし、以上の汽車がただこれらの所を通り過ぎるだけで、寝台券がなかなか買えにくいのだ。

天気指数
夏の時、黄山のふもとでも暑くて、だからティ―シャツとパンツだけでいい。正午になると、ときには雷を伴うにわか雨が降ったりしたが、ご心配なく。山地の天気が変化に富むから、先が雷や稲妻を伴う大雨だが、少々待つと、雨上がりで晴れに変えてしまうことも珍しくないのよ。また、もう一つ注意しなければならないことがある。それは山地の朝晩の温度差である。だから、防水で気体が通過できるコートを用意しておくといい。また、もしまぶしい日差しによる紫外線を防ぐため、きちんと日差し防止のクリームを使ってください。

A.歙县部分
斗山街と许国石坊
斗山街は本々古町での商店街であり、许国石坊も町にある。二つのスポットがとおくなくて、歩いても結構だ。車がいらないよ。许国石坊はもっと特色がありそうで、四面の立体牌坊からなっている構造がここしかないようだ。
古町が非常に賑やかで、すでに町の商業センターとなり、言い換えると北京の王府井と广州の北京街みたいな存在である。言うまでもなく、そこの古家も徽州でのほかの古家と同じように、物語がある。が、古町の静かさはもう戻らないだろう。あんまり期待しない方がいい、ただ何も考えずにぶらぶら歩けばいい。

棠樾牌坊群
評判がいいので、切符が50元で、安くない。中に一連の牌坊、一つの祠堂、そしてごくありふれた町がある。まあ、観光価値があると思うが、切符の価格を考えると、安上がりとは言えない。

唐模
唐模はただの村で、切符30元、中に水街がある。水街が村の中核街で、いかにも小橋流水の情緒があるようだ。商業雰囲気がないので、村本来の古い趣が残って、歙县で一番見るに値する観光スポットだと思う。

歙县交通

 駅かバス駅から降り、三輪のモーターカーで町へ行く。このモーターカーと言っても、実はモーターバイクの後ろに鉄製の棚をつけ、風や雨などを防ぐが、でこぼこした道を歩くと、実に上下いに揺れていて、騒音もかなり大きいのだ。しかし、歙县でほかに選ばれる交通機関がなさそうで、だが価格が安くて、市内で2元で結構だ。斗山街と许国石坊は市内にある。
棠樾牌坊群はたぶん県を7、8キロ離れた場所に、黄山行きのバスに乗り、途中で棠樾牌坊群の入口付近を降りればいい。そして、モーターバイクで中に入る。もちろん、県から直接モーターバイクでそこへ行くのもいい。棠樾牌坊群への片道価格が、一人あたりに5元だが、乗る前に帰り道の価格も前もって相談したほうがいい。なぜなら、観光区あたりに交通機関が少ないから、モーターバイクも見つけにくい。だから、高い価格で帰ることもある。
唐模に行きたいなら、ただ棠樾牌坊群への途中で脇道に入り、モーターバイクで15分かかる。もちろん、最初片道ではなく往復価格を相談したうえで、モーターバイクを雇うといい。県か大通りから車を雇ってもいい。

歙县での泊り

 歙县市内で宿がたくさんで、ほとんどが個人で経営したものである。だから、価格もそれぞれで、シーズンオフの価格が30-100元ぐらい。紫阳ホテル、大华ホテルが観光ツアーの指定ホテルで、もし快適な宿がほしいなら、ここも悪くない。それに、モーターバイクの運転手に宿を紹介してもらう必要がないから、町まで送ってもらえば結構だ。また、県が黄山市をただ28キロだけ離れていて、市に戻って一泊してもいい。むしろ、その方が便利だ。次の日が他の観光区へ直接車で行けるからだ。

 
 
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